ヒストリー |
紅茶のヒストリーには |
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★紅茶ヒストリー★お茶のルーツは中国です、紅茶も緑茶も同じ茶木です、したがって 紅茶も、中国からヨーロッパへと伝わったのです しかし、当時中国で紅茶を作り、ヨーロッパへ運んでいたわけではありません 紅茶は中国にもありましたが、ヨーロッパに伝わったのは緑茶でした ●紅茶ヒストリーです 1602年 ポルトガル人が中国からヨーロッパへ伝えました 1610年 オランダ東インド会社によって中国茶の輸入が始まりました 1662年 イギリス王室にお茶が持ち込まれ、貴族の中で飲まれるようになりました 当時は緑茶が持ち込まれましたが、その後烏龍茶が人気になりました、 ウーロン茶は半発酵茶で色が黒いので「ブラックティー」と呼ばれました その後、完全発酵の紅茶が人気となりました 運んでいる最中に、烏龍茶が完全発酵してしまったという説もありますが、完全発酵茶 である紅茶がイギリスの水(硬水)にあっていたためということです ●戦争の原因にもなった紅茶 その後紅茶は英国貴族の中で益々人気が高まっていきましたが、当時中国や インドネシアなどの貿易を独占していたのがオランダでした イギリスはお茶をオランダから輸入せざるを得ない立場でした、 そこでイギリスはオランダ相手に戦争を起こします、 結果的にこの戦争に勝ったことにより、直接中国から輸入できるようになります (1689年)このことがきっかけで、一般市民にの間にも広まることとなり、紅茶は益々 人気を博すこととなりました 産業革命の頃になると、中国からの独占輸入権は停止され、インドやセイロン (スリランカ)での栽培が進みましたが、インドのアッサム地方で大量栽培の方法が 発見(1823年)されることで、いっそうの紅茶文化が発達しました ●アメリカ独立の原因? 17世紀当時、アメリカは当時イギリスの殖民地でした、紅茶もイギリスから輸入せざるを 得ない状況でした 当時イギリスはフランスとの戦争で財政事情が悪化していました、そこでアメリカへの 輸出品へ高額な税金をかけていました、アメリカの人々はイギリスへの不満を当時 ボストン港に停泊していた船の積荷である紅茶にぶつけました。なんと積荷の紅茶を 全て海に捨てたのです。 これは「ボストン茶会事件」(1773年)と呼ばれ、この事件がきっかけとなり アメリカ独立戦争へと発展しました ●アヘン戦争の引き金にも 19世紀、イギリスは中国からの輸入がますます増えていきました 当然ながら中国に対して輸入超過となり、支払いに使用する銀が不足する事態と なってきました そこで貿易収支改善策として、当時中国にて薬用で使用されていたアヘンを輸出する ことを考えたのです 当初アヘンは薬用のみで使用されていましたが、アヘンの吸引者が増える結果となり 清朝政府は薬用以外の使用を禁止し密貿易を禁止します、しかしイギリス政府はこれを 不服とし戦争を始めます 清朝政府はイギリスの武力に破れ、香港割譲などの不平等条約に調印(1842年) させられます これがアヘン戦争です、紅茶が引き金になった戦争でした ●日本の紅茶 日本に紅茶が持ち込まれたのは、1906年明治屋が輸入したイギリスの リプトン紅茶です 当時は緑茶が普及していたこともあり、一般には定着しませんでした、しかしながら 当時の明治政府は紅茶生産を奨励し、1887年にはイギリスへ輸出をするまでになって いました 国内向けには1927年に三井紅茶(今の日東紅茶)が国産を販売し、これが本格的な 一般家庭への普及のきっかけになりました 国内生産は昭和の初期をピークに減少し、1960年以降はほとんど生産はありません 1971年紅茶の輸入が自由化になり、現在の人気に至っています |
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